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2009.02.05

東慶寺にて想う。/09年、四季の花(22)

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以前も紹介した、北鎌倉東慶寺の金仏
手前に紅梅が咲いていました。

また、梅か? と思っていますよね??
何度も登場して申し訳ありません。
本日は、久々にちょいと駄文をかまします。
立春に際し(書いたのは昨日)、どうしても備忘録として書いておきます。
面倒な方は、スルーでお願いします。

さて、1月24日に息子と出かけたときの撮影。
ふと金仏の背後から、金仏の視野で、紅梅を撮ってみたんです。

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ああ、この金仏は一年を通して、山門から入場する人々、花、木と、
森羅万象を眺め続けているんだなあ、と。
そう思うと、「わたしゃ、金仏に生まれ変わりたい」と。
でも、煩悩だらけの我が人生。
金仏は恐れ多くも、せめて野に咲く雑草にでも・・・
まあ、無理だとしてあと何回、人に生まれ変わらなければならないのだろう?
な~んてことを自問自答してしまいました。

僕は今年で52歳になりますが、周りがなんといおうと肉体的にも精神的にも
自らの老いを自覚することは、たびたびあります。
子供の頃は、野山で走り回っていましたが、
いま、汗かきふうふう野山を歩きます。
五十肩は、あがらないままです。
最新よりも、聴き馴染んだロックしか受容できない自分がいます。
若い頃のように、自分は何年生きるのだろう?
ではなく、あと何年で死ぬのだろう? と思う年齢です。
既に人生の往路をターンしているのですから。

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ところで先日、息子が夕食のとき、話の流れで不意にこういったのです。

「お父さんとお母さんが死んじゃったら、僕は独りだよ・・・」

独りっ子で、趣味が特殊なため友達が少なく、親とばかり接している息子の孤独。
実は13歳の息子は、日本史→鎌倉時代→仏像→仏教と興味が変遷してきました。
最近は、梵字の研究まではじめています。
そのとき、驚いた僕と家内は、大学院出て学芸員になって、
結婚して自分の仲間や家族と暮らすんだよ。と咄嗟に理想を諭しました。 

そうしたらなんと、早々に「仏門に入る」と。
僕と家内がいなくなり、独りになってしまったら、
もはや浮き世に希望はないというのです。
ガキっぽいと思う前に、愛おしく、思わず鼻の奥がつんとこみあげ、
それを息子に悟られまいと、何度も瞬きを繰りかえしていました・・・

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人には悩み、悲しみ、苦しみ、楽しみ、色々あります。
書き連ねてみると、ポジティブなのは「楽しみ」だけなんですね。

その楽しみだけを噛みしめ、前向きに生きることが人生なのか?
はたまた生とは、やはり煩悩消化期間に過ぎないのか?
考えはじめると、正に表と裏。
だが、白が黒に、黒が白になるのが、オセロというゲーム。
詰まり、白は黒であり、黒は白。表裏一体である。
慈しみ、憎む、人の生に似ている。

そして、ゲームも人の生も、必ず終りはくる。
そこに例外はない。
人生の有り様は死ぬために生きるゲームのようでもある。

実は僕は、若いときに禅とタオ(老子)思想に傾倒していて、
煩悩・悟り・死、常にそんな死生観を抱いている。

ものごとなるようにしかならなく、どうなるかも予測不可能ではあるが、
それでも、息子の出家宣言は衝撃でした。

だから息子の孤独をはらうためにも、可能な限り生ききってみたい・・・
という呟きでした。

長文・駄文にて、失礼。










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