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2007.12.17

07年、路傍の草花93。

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本日は数週間前、フラワーセンター大船植物園で、撮ってあった菊の花々です。



野菊ではなく、栽培されているキク(イエギク)は、1500年前に中国で、チョウセンノギクとハイシマカンギクの交配によって生まれたそうで、野生種は存在しないそうです。

【ヤマトシコンギク(原種)】
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↓画像をクリックすると大判写真が観れます。
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日本では江戸時代前期から、盛んに栽培熱が高まり、様々な交配が繰り返された。
同時期には、中国からヨーロッパに渡ったが、当初人気はなかった。
しかし、幕末に日本から様々な品種が持ち出され、イギリスを中心に交配が盛んになったとのこと。(ウィキペディアによる)
鎖国時代に、オランダの密命を受けて来日したシーボルトあたりが、持ち出したのではないかという気もしますが……。

【ツツザキノコンギク(原種)】
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【キノクニシオギク(原種)】
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さて、菊といえば、なにを連想しますか?

日本の天皇、皇室の紋章である菊花紋章。
因にこれは、鎌倉時代の初めに後鳥羽上皇が、菊を好み、天皇家家紋としたことにはじまるそうです。
そして、菊の花言葉は、“高貴” でございます。

他には50円硬貨の裏の菊模様。
他には……、
えっ? 誰だ?? 尻の○っていったやつは!(こらこら)

食いしん坊には、食用菊 “もってのほか”。
はたまた刺身のパックに添えられた、プラスティックの黄色い菊……。
そして、仏前に飾る、花の代表でもあります。

【デルフィマム・オレンジ】
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僕が、菊で連想するのは、母方のお祖母ちゃん。
菊婆さんです。
別に菊が、好きだった人ってわけではありません。
本当に名前が、菊だったんですよ。
北海道南、いまや “ししゃも” で有名な鵡川で戦後、農家を営んでいました。
田んぼや畑、鶏・豚などの家畜、農耕用の馬、なんでもいました。

僕が夏休みに母に連れられて行き、遊び回っている隙に、必ず飼っている鶏をひねって、食べさせてくれました。だから、僕はいまでも鶏肉が好物ですが、いつもその様子を見ていた母は、以来いまだに鶏肉嫌いです。
そして、母は早々に僕を残して帰り、夏休み中僕はその母の田舎で過ごしました。

毎晩、お祖父ちゃんか菊婆さんと、五右衛門風呂に浸かりました。
菊婆さんの背中脇には、二つの穴がありました。
僕が、これなあ~に? と聞くと、
「戦争で、玉に当たったんだ……」
とだけ答えまして、子供の僕はそれ以上聞いてはいけないことなのだな? と思ったものでございます。

いま思えば終戦からわずか18年目の、僕の夏休みに見た、菊婆さんの背中の傷跡でした。

【スプレーギク・フィデサ】
↓画像をクリックすると大判写真が観れます。
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【スプレーギク・ドラマティック】
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僕の菊好きは、単に菊が綺麗だから、というだけではないのです。
僕が上京して数年目に、菊婆さんは大往生したのですが、事情があり葬儀には出られませんでした。

色々な菊科の植物を眺めていると、
「ああ、また菊婆さんが逢いにきたな」
なんて、思うのです。

しっかし、あの鶏は美味かったなあ♪

お後が、宜しいようで。





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この記事へのコメント
菊おばあさんは背中に銃弾を受けるなんて、どんな体験をされたんでしょうね。恐ろしかっただろうなあ。何だか、身近にそんな傷を持つ人がいると、戦争が「歴史」ではなく、現実だったんだということを思い知らされるような気がしますね。

菊はヌードルスさんにとって特別な花なんですね~。
Posted by てんてん at 2007.12.18 00:43 | 編集
原種の野菊たち、やっぱりいいですね。
ツツザキノコンギクですか? こんなのもあるのですね。
園芸種で筒咲きのものを見かけますが、原種でも筒咲き種があったんですね。

noodlesさんが、キク科の花がお好きだって仰っていたのには、菊ばあちゃんとの想い出も絡んでのことだったんですね。
それにしても、背中にふたつの玉あとですか?
察するに余りある、凄い体験をなされたんでしょうね。
確かに私の子供時代には、太平洋戦争がまだ身近な話題でした。
体験者の記憶が新しかったこともあり、リアルに語るし、聞く側も状況を生々しく想像することが出来ました。
戦争は悪だって、そのときにしっかり認識しました。
正義の戦争なんて、どこにも存在していません。
平和ボケ、結構なことじゃありませんか。
このボケならいくらでも受け入れます~~

卵の産みが悪くなった鶏は、必ず絞められることになっておりました。
美味しかったです~~(笑)
Posted by goro's at 2007.12.18 01:03 | 編集
キク科の花がお好きなnoodlesさん、菊おばあちゃんとの
温かい思い出がたっぷりおありだったのですね。
「ああ、また菊婆さんが逢いにきたな」
そういうの、いいなぁ… 亡くなってしまっても心の中に
いつまでも生き続ける、ってこういうことですよね。
それにしても、お祖母ちゃんはすごい体験をされたのですね。
私たちは戦争を知らない世代ですが、それでもまだ影は
残っていました。私は母に13歳の弟(私たちの叔父)が
爆撃で亡くなった話をよく聞きましたし、白装束で膝下のない
傷痍軍人と名乗る人が施しを求めている姿なども見かけたものです。
Posted by ポージィ at 2007.12.18 11:09 | 編集
てんてんさん

>菊おばあさんは背中に銃弾を受けるなんて、どんな体験をされたんでしょうね。恐ろしかっただろうなあ。何だか、身近にそんな傷を持つ人がいると、戦争が「歴史」ではなく、現実だったんだということを思い知らされるような気がしますね。

考えてみたら、菊婆さんの背中の傷が、どういう状況下で受けたものかを知らずにきてしまいました。
お袋が元気なうちに、聞き出しておこうと思っています。

>菊はヌードルスさんにとって特別な花なんですね~。

他にも、花を探しに野を歩いていると、よく蝶が道案内をするように纏わり飛ぶことってないですか?

そんなときも、死んだ身近な人を思ったりしますね。。
Posted by noodles3 at 2007.12.18 12:16 | 編集
goro'sさん

>原種の野菊たち、やっぱりいいですね。
ツツザキノコンギクですか? こんなのもあるのですね。
園芸種で筒咲きのものを見かけますが、原種でも筒咲き種があったんですね。

素朴な野菊や、ガーベラのような華やかなものまで、キク科の植物はほんとに種類が豊富で、楽しませてくれますよね♪

>noodlesさんが、キク科の花がお好きだって仰っていたのには、菊ばあちゃんとの想い出も絡んでのことだったんですね。
それにしても、背中にふたつの玉あとですか?
察するに余りある、凄い体験をなされたんでしょうね。
確かに私の子供時代には、太平洋戦争がまだ身近な話題でした。
体験者の記憶が新しかったこともあり、リアルに語るし、聞く側も状況を生々しく想像することが出来ました。
戦争は悪だって、そのときにしっかり認識しました。
正義の戦争なんて、どこにも存在していません。
平和ボケ、結構なことじゃありませんか。
このボケならいくらでも受け入れます~~

佐世保の乱射事件といい、銃の存在自体が暴力の象徴です。
そして世の中から武器が消滅することは、あり得ないという事実。
警官が、銃で威嚇することが、すなわち暴力を肯定していることですから。。。
最後は武器で殺めることで、物事を解決するという歴史はいまだ変わっていません。

>卵の産みが悪くなった鶏は、必ず絞められることになっておりました。
美味しかったです~~(笑)

卵も美味かったです~♪(笑)
Posted by noodles3 at 2007.12.18 12:25 | 編集
ポージィさん

>キク科の花がお好きなnoodlesさん、菊おばあちゃんとの
温かい思い出がたっぷりおありだったのですね。
「ああ、また菊婆さんが逢いにきたな」
そういうの、いいなぁ… 亡くなってしまっても心の中に
いつまでも生き続ける、ってこういうことですよね。

花探しをしているとき、蝶にも同じ感情を抱きます。
道案内するように、纏い飛ぶときがあります。

>それにしても、お祖母ちゃんはすごい体験をされたのですね。
私たちは戦争を知らない世代ですが、それでもまだ影は
残っていました。私は母に13歳の弟(私たちの叔父)が
爆撃で亡くなった話をよく聞きましたし、白装束で膝下のない
傷痍軍人と名乗る人が施しを求めている姿なども見かけたものです。

よく、縁日の夜店の間に傷痍軍人が、ハーモニカで軍歌を演奏し、投げ銭目当に立っていたり、座っていたりしましたよね。
あれも、子供心には重い思い出です。
Posted by noodles3 at 2007.12.18 12:30 | 編集
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